微火

BLオタクによる読書/映画感想日記など

虐げられた女たちの連帯『天幕のジャードゥーガル』

 ともすれば閉じてしまいそうなまぶたを持ち上げて、わらう。無邪気にわらう。争いを、怨恨を、死をわらう。内なる怒りのともしびを絶やさぬように。

 

 『天幕のジャードゥーガル』は13世紀、イラン東部の奴隷ステラが、仕えていた学者家族をモンゴル帝国によって殺された恨みを晴らすための物語だ。一矢報いることをうちに秘め、ステラはかつての主ファーティマへ名前を借り、皇后の奴隷となる。

 

 なにより惹かれるのは、虐げられた女たちの連帯だ。チンギス・カンの死後皇帝となったオゴタイ・カアンの第四皇后ドレゲネはかつて、モンゴル帝国によって殲滅したメルキト族長の妻であった。イスラム教徒であることを馬鹿にされても屈託なくわらうステラに、ドレゲネは父の無惨な死を伝えられてもなおわらう娘クランの影を見、ふたりは帝国を滅ぼそうと結託する。ステラもまた、長い捕虜生活に何度も身を投げ出しそうになるが、そのたびにドレゲネのうちなる怒りに励まされる。

 

 皇后と奴隷。ときには周囲に翻弄され、相手を疑いかけながらも、このふたりの根本には身分を超えたかたい信頼がある。基本的に史実に沿って話が進むので、この先のことを考えると頭を抱えてしまうけど……ともかく。

 がんばれステラ、がんばれドレゲネ。

 

 

王谷晶『君の六月は凍る』(たぶんネタバレなし)

泣きたい、のとはちょっと違う。
王谷晶『君の六月は凍る』併録の『ベイビー、イッツ・お東京さま』の暴力に目が離せないでいる。その日暮らしで食いつなぐ二次創作字書きの疲弊、孤独、祈りが突き刺さって抜けない。

「妄想」が好きな主人公の思考は音を伴って強制終了されていくが、それがあらゆる意味で自分を生へと引き止めている。ぶつん、と音がするたびに、文字通りの意味で心臓をわしづかまれゆさぶられる心地がする。

「そのときだけ、自分が自分でいることを放棄できる。自我がコーラやキャラメルポップコーンの中に溶け、ただ映画を受容する生命体になる。名前も失くし、職も失くし、誰にも見られず、ただ目の前のスクリーンで起こることを受け入れる。映画館で映画を観るのは、忘我の境地に居る快楽だ」

なんだかなあ。こういうこと、主人公は何度も何度も言うんだ。

二次創作もこんなふうに没頭して、大好きな二人の関係性だけをせいいっぱい愛でて暮らしたい。「忘我の境地」にいたいのに、否応なしに現実へ引き戻されてしまう。

どんなに趣味に空想にしがみついていようとも、それらは残酷な社会の延長上のものでしかないことを、気づきたくないのに否応なしに気づかされてしまう。これもまた、主人公の忌避する、しかし直面せざるを得ない暴力でもあって。つらい。
「気づきたくない」気持ちがありありと文章化されていて、暮らしのままならなさはリアリティがたっぷりで、わたしはこれからどうしよう、読み返してはそんなことばかり考える。もっと具体的なことが言えると思ったけど、いざ書き出すと言葉にならなくて、文章がものすごく抽象的になっちゃったなあ。

王谷晶の暴力が好きだ。本タイトルになっているほうは、言うまでもなくすごい。本当に本当に帯文通り。においが生々しくて、不気味なのに、そこから離れられない。幼少期、住宅街の真ん中で飼っていた二羽の鶏のことを、ぼんやりと思い出す。鶏の子供か〜〜……